サンフレッチェ広島の初代総監督であり、日本サッカー界の発展に多大なる貢献をされた今西和男(いまにし・かずお)さんについてまとめました。
非常に悲しいお知らせですが、今西さんは昨日(2026年4月16日)、85歳で逝去されました。 広島のサッカー文化を語る上で欠かせない「レジェンド」の歩みを振り返ります。
今西和男さんの功績と歩み
1. サンフレッチェ広島の「礎」を築く
Jリーグ開幕時、サンフレッチェ広島の初代総監督に就任。「育成の広島」と呼ばれるクラブの伝統を作り上げた張本人です。
- スカウティングの神様: 無名だった高校時代の森保一監督(現・日本代表監督)の才能を見出し、マツダ(現・サンフレッチェ)に勧誘したのは有名な話です。
- 人間教育の重視: 「サッカー選手である前に、良き社会人であれ」という教えを徹底し、広島のユースシステムや選手の行動規範の土台を築きました。
2. ハンス・オフト氏の招聘
東洋工業(現マツダ)時代、日本サッカー界に革命を起こしたハンス・オフト氏を監督として招き入れました。この流れが後の日本代表初の外国人監督就任(オフト・ジャパン)へと繋がり、日本の戦術的進化のきっかけを作りました。
3. 被爆者としての発信
4歳の時に広島で被爆した経験を持ち、「平和があるからこそサッカーができる」という強い信念を持っていました。広島からサッカーを通じて平和を訴える姿勢は、クラブのアイデンティティにも深く刻まれています。
主な経歴
| 期間 | 役割・主なトピック |
| 選手時代 | 東洋工業(現マツダ)のDFとして活躍。日本代表にも選出。 |
| 1980年代 | 東洋工業サッカー部の立て直しに着手。オフト氏を招聘。 |
| 1992年 | サンフレッチェ広島 初代総監督に就任。 |
| その後 | 強化部長、専務取締役、ゼネラルアドバイザーを歴任。 |
| 2000年代以降 | FC岐阜の社長やゼネラルマネージャーとして、他クラブの発展にも尽力。 |
2026年4月の訃報を受けて
今西さんの逝去を受け、教え子である森保一監督をはじめ、多くのサッカー関係者が「人としての根本を教わった」と深い哀悼の意を表しています。
広島の街、そして日本のサッカー界にとって、まさに「父」のような存在でした。サンフレッチェ広島の今の躍進があるのは、今西さんが撒いた種が芽吹いた結果と言えます。


