広島城の歴史と由来を解説!なぜ鯉城と呼ばれる?「広島」命名の秘密も紹介

コラム

広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人であった毛利輝元によって築かれたお城です。地元では「鯉城(りじょう)」という愛称でも親しまれています。

1. 築城の背景と「広島」の誕生

1589年(天正17年)、それまで山城である郡山城(安芸高田市)を拠点にしていた毛利輝元が、政治や経済の拠点とするために太田川の河口に築城を開始しました。

実は、この時に初めて「広島」という地名がつけられたと言われています。毛利家の先祖である大江広元の「広」と、この地の豪族だった福島元長の「島」を合わせたという説や、広い島々がある地形から名付けられたという説があります。


2. 城主の変遷

広島城の歴史を語る上で欠かせないのが、城主の入れ替わりです。

  • 毛利輝元: 築城主ですが、関ヶ原の戦いで敗れたため、完成から間もなく萩(山口県)へ移封されました。
  • 福島正則: 次に入城しましたが、江戸幕府に無断で城を修理したことがルール違反(武家諸法度)とされ、改易(クビ)になってしまいます。
  • 浅野長晟: 1619年に入城。それ以降、江戸時代を通じて約250年間、浅野家が代々この地を治めました。

3. 国宝から再建へ

明治以降も広島城は軍の施設として使われ、天守閣は当時の姿を残す貴重な建造物として国宝に指定されていました。

しかし、1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下により、すべての建物が倒壊・焼失してしまいました。現在の天守閣は1958年に外観を復元したもので、内部は歴史博物館になっています。


4. なぜ「鯉城」と呼ばれるのか

広島城の周辺がかつて「己斐(こい)の浦」と呼ばれていたことや、お城の堀にたくさんの鯉が泳いでいたことからそう呼ばれるようになりました。これが、現在の広島東洋カープのチーム名の由来にもなっています。

歴史を知ってからお城を眺めると、また違った趣が感じられますよね。

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