広島市東区の戸坂千足(へさかせんぞく)にある「南畝(みなみうね)」という地名についてですね。
戸坂エリアは非常に古い歴史を持つ土地ですが、特にこの「南畝」という地名には、かつての農村風景が色濃く反映されています。詳しく解説しますね。
1. 「南畝」の読み方と由来
一般的に「みなみうね」と読みます。
- 「畝(うね)」とは: 畑で種をまいたり苗を植えたりするために、土を盛り上げた筋のことです。
- 由来の推測: この地名は、戸坂千足地区の中でも「南側に位置する、整理された畑(畝)があった場所」を指す、いわゆる「字(あざ)」名から来ていると考えられます。かつての農村部では、日当たりの良い南側の傾斜地や平地が貴重な耕作地であったため、このように場所を特定する名前が付けられることが多くありました。
2. 「戸坂千足」全体の歴史的背景
「南畝」がある「千足(せんぞく)」という名前自体にも、非常に有名な由来があります。
- 草鞋(わらじ)伝説: 1541年、毛利氏が武田氏の守る銀山城を攻めた際、毛利方がおびただしい数(千足)の草鞋に火を付けて太田川に流し、大軍がいるように見せかけて武田軍を欺いた、という伝承から「千足」の名が付いたと言われています。
- 豊かな実り説: 別の説では「千束(せんぞく)の稲が実るほど豊かな土地」という意味から来ているとも言われています。
3. 地域の特徴
戸坂千足の南畝周辺は、かつては太田川沿いの豊かな田畑が広がるエリアでした。
- 牛田山との関わり: 背後に控える牛田山(茶磨山)の南麓にあたり、水はけが良く日当たりの良い斜面が「畝」として活用されていた名残が、地名として現在も残っています。
- 現在の姿: かつての農地は現在、閑静な住宅街へと姿を変えていますが、バス停の名前や古い地図の中にその名を見ることができます。
「南畝」という言葉からは、かつてこの地を耕し、豊かな実りを願った人々の暮らしが目に浮かぶようです。温品の「金碇」などと同じく、戸坂にもこうした戦国時代や農業にまつわる面白い地名がたくさん眠っていますね。


