有田中井手の戦いとは
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時期: 永正14年(1517年)2月
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場所: 安芸国(現在の広島県西部)、有田城とその付近
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背景: 安芸国の旧守護であった武田元繁が、尼子氏の支援を受けて勢力回復を図り、吉川氏の有田城を攻撃したことがきっかけです。吉川氏は毛利氏と同盟関係にありました。
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参戦武将:
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毛利氏:毛利元就、相合元綱、宮庄経友など
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吉川氏:吉川元経
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安芸武田氏:武田元繁、熊谷元直、香川行景、己斐宗瑞など
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結果: 毛利・吉川連合軍の勝利
戦いの経過
武田元繁は5,000の兵を率いて有田城を攻めましたが、毛利元就はわずか850の兵で吉川氏の援軍と共に迎え撃ちました。兵力差は圧倒的でしたが、毛利軍は地の利を生かし、武田軍を翻弄しました。
特に、武田元繁が又打川を渡河中に矢を受けて討ち死にしたことが、戦局を大きく左右しました。総大将を失った武田軍は混乱し、壊滅的な打撃を受けました。この戦いで、武田方の重臣である熊谷元直も討ち死にしています(伝武田元繁戦死地)(伝熊谷元直氏の墓)
この戦いの意義
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毛利元就の初陣: 元就はこの戦いで初陣を飾り、武将としての才能を世に示しました。彼の勇猛果敢な戦いぶりは、周囲に大きな衝撃を与えたと言われています。
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武田氏の衰退: この戦いで当主の元繁を失った武田氏は、勢力を大きく衰退させました。
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毛利氏の勢力拡大: 逆に、この勝利によって毛利氏は安芸国における勢力を拡大する足がかりを築きました。
有田中井手の戦いは、毛利元就の生涯において重要な転機となった戦いです。この勝利をきっかけに、彼は中国地方の覇者へと駆け上がっていくことになります。
まとめ
この戦いの後安芸武田氏は滅亡し毛利家が安芸の国を拠点に勢力を拡大していき吉川氏に次男元春を嫁がせるなど勢力を拡大していきます。以外に知られていない小さな戦いにも全国に名を轟かす戦国武将が活躍されています。そしてこの戦いで衰退していく安芸武田氏には関ヶ原の戦いでのキーマン「安国寺恵瓊」や幕末志士「高杉晋作」など血筋があると言われています。また武田高校など武田氏の名残が存在しています。