ウィキッド ふたりの魔女 – オリジナル・サウンドトラック
はじめに
皆さん、こんにちは!今日は、長年多くのファンを魅了し続けるミュージカル「ウィキッド」の特別なサウンドトラック、「ウィキッド ふたりの魔女 – オリジナル・サウンドトラック (デラックス・エディション)(限定生産盤)(2枚組)」をじっくりとご紹介したいと思います。
「ウィキッド」といえば、オズの魔法使いの裏側で繰り広げられた、西の悪い魔女エルファバと、善い魔女グリンダという対照的な二人の魔女の友情と葛藤を描いた感動的な物語。その世界観を彩る音楽は、一度聴いたら忘れられない力強いメロディーと、登場人物たちの感情を鮮やかに表現した歌詞で、多くの人々の心を捉えてきました。
今回ご紹介するデラックス・エディションは、通常のサウンドトラックに加えて、未発表音源やインストゥルメンタルバージョンなど、ファンにはたまらない貴重なトラックが収録された2枚組の限定生産盤です。単なる劇中歌の収録に留まらず、「ウィキッド」の世界をより深く掘り下げ、新たな感動を与えてくれる特別な一枚と言えるでしょう。
この記事では、このデラックス・エディションの魅力を余すところなくお伝えするために、各ディスクの収録内容や聴きどころ、そしてこのサウンドトラックを通して改めて感じる「ウィキッド」という物語の深さについて、熱く語っていきたいと思います。さあ、魔法の音楽の旅へ、一緒に出かけましょう!
- 商品説明
- INTRODUCTION
- STORY
- ミュージカル・ファンによる二つの期待
- 映画だからできる「Defying Gravity」の表現
- アリアナと“キャンピー”なグリンダ
- 予想を大きく超えた「Dancing Through Life」のミュージカル的瞬間
- 洋画離れ”のなかでの異例の人気の理由
- 魔法と学園バトル漫画、分断と憎悪
- ハリウッド黄金期の復古
- 原作への徹底した敬意
- 主演の二人
- 物語を彩るスコアの「記憶」
- 幼いころからの夢の役
- 夢を追い続ける
- 映画オーディションへの意気込み
- 掴んだ夢と称賛される演技
- アメリカ文化の一部となった映画『オズの魔法使』
- “正義”とアメリカと『ウィキッド』
- 独善と偽善の間
- “ユニバーサル・スタジオ・ロット”での試写会
- 壮大な舞台設定
- 豪華キャストが繰り広げる感動のミュージカル
- 典型的な構図超えるストーリー
- 「アンリミテッド~無限の力」というメッセージ(*ネタばれ注意)
- まとめ
商品説明
シンシア・エリヴォ x アリアナ・グランデW主演、不朽のミュージカル「ウィキッド」の映画化作品オリジナル・サウンドトラック、日本独自企画!CD-2のオリジナル・スコアは、世界初の日本盤のみCD化にてリリース!
名作「オズの魔法使い」の前日譚として長年愛される不朽のミュージカル「ウィキッド」を、ジョン・M・チュウ監督により映画化した『ウィキッド ふたりの魔女』のオリジナル・サウンドトラックにオリジナル・スコアを追加収録した2CDデラックス・エディション。音楽はグラミー賞とアカデミー賞を受賞したスティーブン・シュワルツが担当。やがて世界に「悪い魔女」「善い魔女」と語られることになる対象的な“ふたりの魔女”エルファバ(シンシア・エリヴォ)とグリンダ(アリアナ・グランデ)の出会いと友情を描く物語―。
ウィキッド サウンドトラックは、ユニバーサル・ピクチャーズの新作映画『ウィキッド』のスターたちによるパフォーマンスを、グラミー賞とアカデミー賞(R)を受賞した伝説的な作曲家・作詞家スティーヴン・シュワルツの音楽と歌詞でフィーチャーしている。このサウンドトラックには、エルファバ役としてエミー賞、グラミー賞、トニー賞受賞の実力派でオスカー(R)候補のシンシア・エリヴォ(ハリエット、ブロードウェイの『カラーパープル』)、グリンダ役として獲得したグラミー賞受賞、マルチ・プラチナム・レコーディング・アーティストで世界的スーパースターのアリアナ・グランデが歌唱した曲が収録されている。
さらに、サウンドトラックには、シズ大学の威厳ある校長マダム・モリブル役でオスカー(R)受賞者のミシェル・ヨー、いたずら好きで気ままな王子フィエロ役でオリヴィエ賞受賞者でエミー賞ノミネートのジョナサン・ベイリー(『Bridgerton』『Fellow Travelers』)、伝説のオズの魔法使い役でポップカルチャーのアイコンであるジェフ・ゴールドブラムが音楽の才能を発揮している。過去20年間、舞台で最も愛され、不朽のミュージカルのひとつである『ウィキッド』を原作とし、壮大で世代を決定づけたこの映画化は大注目。公式サウンドトラックのトラックリストには、ウィキッドを象徴する楽曲「Defying Gravity」、「Popular」、「Dancing Through Life」などが収録され、これまでに聴いたことのないパフォーマンスで披露される!日本での映画の公開は2025年春予定。
・三方背ケース(CDサイズ)
・数量限定生産
・日本独自企画
・2CDデラックス・エディション
CD-1:サウンドトラック(ボーナス・トラック3曲収録)
CD-2:オリジナル・スコア
・キャラクター・フォトカード10枚セット
・アナザー・ジャケット
・解説・歌詞・対訳付
(メーカー・インフォメーションより)
各ディスクの魅力:Disc 1 – 物語を彩る珠玉の歌声
Disc 1には、お馴染みの劇中歌が収録されていますが、改めてそのクオリティの高さに驚かされます。エルファバの力強さと孤独を歌い上げる「Defying Gravity」、グリンダの明るさと内面の葛藤が垣間見える「Popular」、そして二人の出会いを象徴する「What Is This Feeling?」など、どの曲もミュージカルの感動的なシーンが蘇ってくるようです。
特に注目したいのは、オリジナルキャストの歌声の力強さ。イディナ・メンゼルとクリスティン・チェノウェスの圧倒的な歌唱力は、聴く者の心を鷲掴みにし、それぞれのキャラクターの感情をダイレクトに伝えてくれます。歌詞の一つ一つ、メロディーの運び、そして二人のハーモニーが織りなす魔法のような瞬間は、何度聴いても色褪せることがありません。
また、単に歌を聴くだけでなく、それぞれの楽曲が物語のどの場面で流れ、どのような感情を表現しているのかを思い返しながら聴くと、より深く「ウィキッド」の世界に浸ることができるでしょう。
各ディスクの魅力:Disc 2 – 未知なる音楽の旅へ
Disc 2こそ、このデラックス・エディションの真髄と言えるでしょう。未発表音源やインストゥルメンタルバージョンが収録されており、これまで聴くことのできなかった「ウィキッド」の新たな一面を発見することができます。
例えば、カットされた楽曲や、初期のデモ音源などは、作品が完成するまでの過程を垣間見ることができ、ファンにとっては非常に興味深い内容です。また、インストゥルメンタルバージョンは、オーケストラの演奏の美しさをじっくりと堪能できるだけでなく、歌声がない分、楽曲そのものの持つ力強さや繊細さをより深く感じることができます。作業用BGMとしても最適かもしれません。
これらの貴重な音源を聴くことで、「ウィキッド」という作品が、多くの人々の情熱と創造性によって磨き上げられてきたことが改めて理解できます。単なるミュージカル音楽の枠を超え、一つの芸術作品としての深みを感じさせてくれるのが、このDisc 2の魅力と言えるでしょう。
INTRODUCTION
全世界で6,500万人以上の観客を魅了し、100以上の演劇賞・音楽賞を受賞、約60億ドルの興行収入を上げ、舞台で最も愛される傑作のひとつとして今も記録を更新し続けている「ウィキッド」が、圧倒的な世界観と驚異の映像美で生まれ変わる。
主演に名を連ねるのは、トニー賞、エミー賞、グラミー賞など名誉ある数々の賞を手にし、圧倒的な表現力を誇る実力派俳優シンシア・エリヴォと、唯一無二の歌声をもつ世界的スーパースターのアリアナ・グランデ。名匠ジョン・M・チュウ(『クレイジー・リッチ!』『イン・ザ・ハイツ』)が監督を務め、製作陣にはマーク・プラット(『ラ・ラ・ランド』『リトル・マーメイド』)、デイヴィッド・ストーン、製作総指揮のスティーヴン・シュワルツをはじめ、脚本も手掛けるウィニー・ホルツマンなど、映画・舞台の垣根を超えた超一流キャスト・スタッフが集結した。
名作小説「オズの魔法使い」で少女ドロシーがオズの国に迷い込むずっと前に遡り、この国で最も嫌われた“悪い魔女”と最も愛された“善い魔女”の過去をふたりの視点から描いた物語「ウィキッド」。感動と興奮に満ちたエンターテインメント超大作でありながら、私たちが持つ物事の見え方を一変させ、今を生きるあらゆる世代の心に、深く残る作品に仕上がっている。






STORY
魔法と幻想の国オズにある<シズ大学>で出会ったふたり― 誰よりも優しく聡明でありながら家族や周囲から疎まれ孤独なエルファバと、誰よりも愛され特別であることを望むみんなの人気者グリンダは、大学の寮で偶然ルームメイトに。見た目も性格も、そして魔法の才能もまるで異なるふたりは反発し合うが、互いの本当の姿を知っていくにつれかけがえのない友情を築いていく。
ある日、誰もが憧れる偉大なオズの魔法使いに特別な力を見出されたエルファバは、グリンダとともに彼が司るエメラルドシティへ旅立ち、そこでオズに隠され続けていた“ある秘密”を知る。それは、世界を、そしてふたりの運命を永遠に変えてしまうものだった…。
『ウィキッド ふたりの魔女』レビュー:舞台ファンによる二つの期待と予想を大きく超えた瞬間
ミュージカル・ファンによる二つの期待
舞台ミュージカル『ウィキッド』のファンが、今回の映画化にあたって楽しみにしていたことはなんだろうか。私には二つあった。
① 映画版でのクライマックスとなる「Defying Gravity」の場面をどう見せるか。
② すでにゲイ・アイコンとしても相当な人気を得ているアリアナ・グランデが、グリンダという「キャンピー」な役をどう演じるか。
最初に答え合わせをしてしまうと、二つとも予想以上の出来だった。けれどももっと意外で嬉しかったのは、「Dancing Through Life」の場面の振付、演出、そしてそこで踊ったジョナサン・ベイリーが素晴らしかったことだ。1961年のロバート・ワイズ監督の映画『ウエスト・サイド・ストーリー』が、舞台での成功をはるかに上回る見事な絵作りで作品の性格を決定づけたように、ジョン・M・チュウ監督の本作『ウィキッド ふたりの魔女』は、これまで各国で上演されてきた舞台版を凌駕する強烈なイメージを作り出した。
映画だからできる「Defying Gravity」の表現
「Defying Gravity」は、『ウィキッド』という作品全体の方向性を示す大曲だ。そもそも「重力に逆らう」とは、文字通り「空を飛ぶ」という意味でもあるが、オズの大王が持つ絶対的な権力に抗う、という意味でもあるし、歌詞でエルファバ自身が説明するように、これまでのしがらみを捨てて自由になる、という意味でもある。
そして作曲・作詞を担当したスティーヴン・シュワーツが――日本ではドイツ人であるかのようにシュワルツと表記していることが多いが、本人はシュワーツと発音している――ここで説明しているように、「Defying Gravity」の場面は、一つのナンバーというよりも、複数のメロディやテーマを繋ぎ合わせたものだ。
具体的には、エルファバとグリンダの皮肉な調子のやり取りの後、作品冒頭で演奏されるファンファーレ風の「No One Mourns the Wicked」が繰り返されて、「Defying Gravity」のメイン・テーマとなる。その後にシュワーツが“Unlimitedのテーマ”と呼んでいるメロディになるが、じつはこのメロディは『オズの魔法使』のテーマ曲ともいえる「虹の彼方に」の最初の七音を使って、それとは異なる印象を作り出したものだ。
こうやって「Defying Gravity」は、作品内外で示される①邪悪さはあらゆる場所に偏在する、それでも②未来は無限の可能性を持っている、という二つの主題を提示し、それらを――まるで私たちはその両方を受け入れなければならないというかのように――つなぎ合わせる。
舞台版では第一幕の終わりとなる「Defying Gravity」でも、エルファバはホウキに乗って飛ぶことになっている。ここではじめて、人々が思い描く「空飛ぶ魔女」の姿を見せるわけだ。けれども宙乗りの技術がいくら進歩したとはいえ、舞台を見てエルファバが重力に逆らって空を舞うようになった、と思い込むのはなかなか難しい。
一方映画では、公式トレイラーのこの辺りから見るとおよそ想像がつくように、VFXのおかげで空を飛ぶエルファバのイメージは観客の脳裏に強く刻まれる。エルファバが現実的にも、象徴的にも、自由の身になったことが、圧倒的な視覚的説得力を持って迫ってくる。
アリアナと“キャンピー”なグリンダ
『オズの魔法使』(1939)がキャンプ感覚に満ちているがゆえにゲイにとって重要な作品であることはここで説明した。人工的でわざとらしいもの、どぎつく悪趣味なものを「愛でる」態度がキャンプだ。ドラァグ・クイーンは男性であることを隠さずに「女」を装う。髭剃り跡やすね毛が見えているからこそ、低くしわがれた声だからこそ、「彼女」はいっそうドラァグで「キャンピー」だ。
同様に、アリアナ・グランデは生物学上女性かもしれないが、度を過ぎた「女の子らしさ」ゆえに、「自然な」女性に見えない。カールしたまつ毛、キュートさを前面に押し出したメイク、唇を尖らせたりして、「自分は愛されるべき存在だ」と周囲にシグナルを送る表情や仕草。存在自体がフィクションのようで、キャンピーだ。
合衆国ではエルファバとグリンダのバービー人形がもう売られているが、グリンダのバービー人形はアリアナ・グランデそっくり、というより、アリアナ・グランデがこのグリンダのバービー人形そっくりのように思えてくる。
映画『オズの魔法使』ではグリンダは巨大な球状の透明な膜に包まれてやってくる。このB級SF映画のようなバカバカしくも子供だましの仕掛けをあっけらかんと見せるところもキャンプ感覚を刺激するが、映画『ウィキッド』ではそれが冒頭で再現される(舞台版の演出ではあまり用いられない)。
透明な球体の中でにこやかに、しかしどこか所在なげに佇んでいるのは、もちろんアリアナ・グランデ。ドラァグ・クイーンはたいてい堂々と振る舞っているが、ふと「自分は場違いだ」という表情を見せることがある。集まったオズの人々の前でグリンダが冴えない顔をしているのは物語上の要請でもある(ネタバレになるので詳細は省く)。だがメイクの色調をわざと抑えて顔を青白く見せたアリアナが悄然としているのを見ると、夜通し陽気に騒いでいたドラァグ・クィーンたちが朝方になって気怠げな顔つきになるのを思い出してしまう。
死にたくなるほどの憂鬱さと狂躁的な騒がしさをひっきりなしに往還する気分のジェットコースターもまた、キャンプ的感受性の一部で、まるでアリアナのために書かれたような「Popular」は、社交的で「みんなの人気者」であるグリンダ=アリアナの心底にある寂寥感をチラと覗かせる名曲だ。
予想を大きく超えた「Dancing Through Life」のミュージカル的瞬間
ここまでは予想以上の出来だった、といっても大体想像はしていた。だが思いがけなかったのは「Dancing Through Life」の場面だ。歌詞を見ればわかるように、このナンバーではウィンキー王国の王子フィエロが、何も考えずお気楽に「踊り暮ら」すという自分の生き方を肯定して歌う。
物語後半のフィエロの覚醒とエルファバとの連帯、その後の試練を知る観客にとっては、世間知らずの若者が「トラブルを避けていれば/悲しみは消え苦悩も続かない」と得意気に口にするのは苦笑するとともに、恵まれた境遇に育った人間がこれから味わうことになる苛酷な運命を考えて、憐れみと恐れを感じずにはいられないものだ。
そしてその後半生とのコントラストを際立たせるために、この場面のフィエロは、カッコよく、オシャレに、クールに踊らなくてはならない。恐れる未来などないかのように、明るく、溌剌としていなければならない。私がブロードウェイや日本で見てきた舞台版でも、それは十分示されてきた。ところが映画では、シズ大学の図書館を舞台に、回転する三つの巨大な書棚の中でフィエロたちが踊るという演出をすることで、若くハンサムなフィエロが輝かかんばかりの存在であることを画面いっぱいに映し出してみせる。
大学という本来「静」の空間に、学生としての知性を持ち合わせないように思えるフィエロがダンスという「動」を持ち込む。舞台版でもその対比が印象的であるのは同じだが、映画版では図書館というもっとも「大学らしい」静謐な空間において、書棚が急速に回転し始めることによって、まるでフィエロが生み出したダイナミズムが世界全体に波及していくように見える。
ミュージカルの面白さは、ナンバーが始まった途端、魔法がかけられたかのように世界が一変するところにあると考えている私はこの演出を見て、ジョン・M・チュウは「ミュージカルをわかっている」なあと感心したのだった。そのぐらい、「Dancing Through Life」はミュージカル的瞬間を作り出していた。公開予定の第二部が今から楽しみだ。
映画『ウィキッド ふたりの魔女』大成功の理由とサントラ、物語を彩るスコア
洋画離れ”のなかでの異例の人気の理由
「娯楽の王様」といえばハリウッド映画──そう断言できる時代は、過ぎつつあるかもしれない。エンタメが多様化した今日、遠出する手間もお金もかかる劇場映画は、危機に瀕している。
じつは、ハリウッド不況の最前線とされるのが日本。2024年度には、アニメ好況もあって邦画の興行収入が過去最高を記録した一方、洋画は前年比69.8%もの激減 を記録して波紋を呼んだ。
「洋画離れ」のなか、異例の人気を博しているのが、2025年3月に公開がはじまった『ウィキッド ふたりの魔女』。実写洋画として1年8ヶ月ぶりに興行収入25億円を突破し、5月12日時点で34億円を超えるサプライズヒットとなっている。 全世界の興行収入も7.5億ドル(約1,102億円)を突破した大ヒット作ではあるものの、日本では世界初のCD版スコアが発売されるほどの社会現象となっている。おなじみのアクションシリーズでも有名どころのアニメーションでもないのに、何故ここまで熱烈な支持を集めたのだろうか?
魔法と学園バトル漫画、分断と憎悪
もちろん、ハリウッドならではの豪華ミュージカルの魅力ははずせない。一方、日本文化との親和性も挙げられるかもしれない。名作『オズの魔法使』をベースにした舞台の映画化である『ウィキッド ふたりの魔女』は「異能力学園」ジャンルと言える。魔法と幻想の国を舞台に、孤独な主人公が大学で才能を認められ、個性豊かな同級生と成長しながら残酷な世界と戦っていく。この構造自体、大人気の『ハリー・ポッター』シリーズ、そして日本の学園バトル漫画と近しい。
女性二人の映画であることも重要だ。大学でルームメイトとなるエルファバとグリンダを主人公にする『ウィキッド』は、撮影監督のアリス・ブルックスより「親友同士の最高のラブストーリー」 と表現されている。ブロックバスター(超大作)の規模で女子の友情をメインにした映画は珍しいし、多くの女性観客から求められ共感されるものでもあった。
時事的な政治・社会問題のテーマも『ウィキッド』の必須要素。一匹狼のエルファバと人気者のグリンダは、正反対の存在として対立しながら友情を築いていく。のちに「悪い魔女」と「善い魔女」と呼ばれることになる二人の物語は「何が悪で正義なのか」という問いを生む。
劇中では、大衆の憎悪を煽るプロパガンダ扇動の問題も描かれる。こうした情報混乱の問題は、分断が加速するSNS時代の今、より身近な脅威に感じられるものだ。だからこそ、異なる価値観を持ちながらも友情を結ぶ主人公二人のドラマが希望を与える。
ハリウッド黄金期の復古
なにより『ウィキッド』は、ハリウッドでも特別な存在として位置づけられている。目標にされた作品は、映画史を革命した1939年版『オズの魔法使』と『ロード・オブ・ザ・リング』。映画文化の存続が危ぶまれる現代において、エレガントでロマンチックなハリウッド黄金期の復古、そして新たな古典の創造を掲げた大作なのだ。その象徴ともいえるのが、900万株のチューリップ畑や58トンのエメラルドシティ急行を創造した壮大な美術、そして160分に及ぶ長尺を一瞬に感じさせるエキサイティングな編集だろう。
緑色の肌のマイノリティである主人公エルファバは、希望を失いそうになっても信念を貫くキャラクターだ。「重力に逆らう」勇気を象徴する彼女のように、映画自体も「大きな夢への挑戦」を体現している。このはかりしれぬ情熱こそ『ウィキッド』を特別な映画にしているのだ。
原作への徹底した敬意
情熱の実写映画化として、原作への敬意も徹底されている。同名小説をもとにした舞台版『ウィキッド』は、伝説的なミュージカルだ。2003年のブロードウェイ初演以来『レ・ミゼラブル』をもこえる史上第4位の公演数 を誇り、歴代最高の週間売上記録も保持している。日本においても、2024年に大阪劇団四季で再演リクエスト最多となった公演が即完売したばかりの人気作だ。
熱心なファンを多く抱えるからこそ映画化のハードルは大きかったが、結果として、魅力を口コミで広めていったのも舞台ファンだった。舞台版に忠実な点が評価されたばかりか、オリジナル描写も絶賛されていったのだ。
20年もの歳月がかけられた映画版『ウィキッド』プロジェクトでは、舞台作家と連帯した制作体制が構築された。面白いことに、楽曲のヒップホップアレンジや歌詞削除といった舞台作曲家スティーブン・シュワルツの案を原作ファンの監督とキャストが止める場面も多かったという。
映画版で厳守されたのは「価値のある変更」 。具体的なエピソードでいえば、オズ国の歴史説明、緑色の肌で生まれたエルファバの幼少期といった深堀りが加えられている。
主演の二人
もちろん、主演二人は最高評価。名優たちと協力してきたシュワルツをして「期待を大きく上回った」と言わしめた世界最高峰の歌い手だ。
エルファバ役は、ブロードウェイのスターとしてトニー賞、エミー賞、グラミー賞に輝くシンシア・エリヴォ。相方のグリンダ役は、ポップスターとして難役のハードルをのりこえてみせたアリアナ・グランデ 。どちらもアカデミー賞にノミネートされるほどの評価を得た。
主演陣は、制作面でも多大な功績を果たした。二人で舞台版と同じ生歌での撮影を頼み込んだのだ。さまざまな技術が絡む映画制作において、本作ほどのライブボーカル処理は至難の業とされる。そこで、製作陣はエルファバの帽子にマイクを仕込んだりすることで、セット全体を音楽スタジオに仕上げる大技を実施。こうして、エリヴォがワイヤーで空を飛びながら熱唱したり、グランデがシャンデリアに飛び乗りながら歌ったりする驚異のスタントが行われていった。
生歌主義こそ『ウィキッド』のパワーの源だ。ミキサーのアンディ・ネルソン が語るように、アドリブをまじえたライブボーカルは、完璧で綺麗すぎる録音では出せない感情的なつながりを観客と形成する。名場面として絶賛された舞踏会でのエルファバの涙 や「Popular」終盤でのグリンダのハイキック も脚本になかったというのだから驚きだ。
音楽面でも、オリジナル要素が魅力になっている。エルファバの名曲「Defying Gravity」の場合、とくにチャレンジングだ。約6分のオリジナルが16分に拡張され、アクションやドラマがいっぱいのシークエンスで展開されていくため、曲が途切れる瞬間すらある。
物語を彩るスコアの「記憶」
この大技を成功に導いたのは、サウンドトラックにあたるスコア。舞台版の約4倍となる総勢100人編成のオーケストラをそろえ、 ギターやバックコーラスをまじえながら、熱唱へ向けて緊張と高揚を高めつづける綱渡りの音楽演出が構築されている。
じつは、スコアこそ、初見の観客とコアファンをつなげる架け橋として機能している。テーマとなったのは「記憶」 。観客の記憶に旋律が刷り込まれるような繰り返しが散らばっているのだ。たとえば、エルファバとグリンダの初対面でかかる音には「Defying Gravity」のリズムが組み込まれている。 舞台ファンにとっては「悪い魔女」の旅のはじまりを告げる演出だが、初見の映画ファンに対しては、後半にお披露目される名曲への耳慣らしとして機能する。
ダイナミックな歌と歌のあいだにシームレスな耳慣らしスコアがはりめぐされるからこそ、映画版『ウィキッド』はミュージカルが苦手な人でも入り込みやすいのだ。もちろん、一度観たあとは、たっぷり考察できるサウンドトラックになっている。
ちなみに、続編の伏線も登場している。『ウィキッド』の冒頭「善い魔女」となった大人のグリンダが過去を回想する「Dear Old Shiz」において、次作『Wicked: For Good』(原題)の表題曲「For Good」の旋律がかすかに流れこむ。
こうした音楽演出は『Wicked: For Good』でさらに活性化するという。『ウィキッド』の感動冷めやらぬうちに、サウンドトラックを聴き込んでみよう。
アリアナ・グランデと『ウィキッド』:幼いころから願い続けた夢の役とそれを掴み称賛されるまで
幼いころからの夢の役
じつはグリンダは、アリアナ・グランデが幼いころから願い続けた夢の役だった。2010年代にSpotifyで最も人気の女性アーティストとなるほどの成功をおさめた彼女だが、そのルーツは舞台演劇にある。
1993年フロリダに生まれ、幼いころから『ウィキッド』のベースとなった『オズの魔法使』のジュディ・ガーランドを真似して歌っていたというアリアナ。舞台版『ウィキッド』をはじめて観たのは10歳のころ。すべての歌詞を暗記するほど夢中になり、観劇回数は二桁に至った。ファンイベントを通して、大好きなグリンダを演じたクリスティン・チェノウェスに歌声を披露したこともある。
キャリアも俳優としてはじまっている。14歳のころ『13』にてブロードウェイデビューを果たし、ティーンドラマ『ビクトリアス』シリーズで人気を集めていった。歌手として契約した18歳のころにも、こんなSNS投稿を残している。
ポップスターとしての音楽も、ミュージカルとともにあった。初期ヒットとなったMIKAとの2012年コラボ「Popular Song」からして『ウィキッド』におけるグリンダの曲「Popular」をサンプリングしたダンスポップだ。
夢を追い続ける
歌唱派としての師匠には、元祖グリンダであるクリスティン・チェノウスがいた。2016年、ミュージカル番組で共演した際、クリスティンはアレンジを加える場合「それで価値が増すのか」と気を配っていたのだという。この姿勢こそ、アリアナの創作基準となっていった。その成果が顕著なのは、ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の名曲をラップで現代化してみせた「7 rings」だろう。
その後も『ウィキッド』15周年番組でメドレーを披露したり、クリスティンのアルバムに参加したりしていったアリアナ。なかでも感動的だったのは、2017年のことかもしれない。
自身のマンチェスター公演で爆破事件の被害に遭ったアリアナは、すぐに現地へと戻り、愛と団結を掲げるチャリティライブを開催した。そこで涙ながらに捧げたのは『オズの魔法使』でジュディが歌った名曲。まだ見ぬ素晴らしい世界を夢見る「Over the Rainbow(邦題「虹の彼方に」)」だった。
映画オーディションへの意気込み
ポップスターとして活躍する10年のあいだも『ウィキッド』映画化の情報を追いつづけていたというアリアナ。2021年、ついにキャスティングオーディションに参加できたものの、状況は不利になっていた。グリンダ役に無名俳優を検討していたジョン・チュウ監督は、有名歌手を起用するつもりはなかったのだ。しかし、いざオーディションが始まると、監督は衝撃を受けた。
それもそのはず。オーディションの開催を知ったアリアナは、多忙にもかかわらず、数ヶ月にわたる猛特訓を行っていたのだ。指導をつとめたベテラン演技コーチ、ナンシー・バンクスすら、台本もないままさまざまな演技をこなしていった彼女の努力量に圧倒されたという。
ボーカルも猛特訓した。アリアナいわく、ポップ音楽の歌い方と『ウィキッド』での歌唱はまったくの別もの。グリンダ役の場合、コロラトゥーラ唱法を用いる古典的オペラソプラノが必要で、超高音での明瞭な発音も求められる。この超技工を自然にできる状態にまで引き上げるべく、声帯のかたちを変えるほどのトレーニングを行っていった。
その成果は、映画で早々に味わえる。壮大なオープニングナンバー「No One Mourns the Wicked」では、今まで聴いたことがないアリアナのオペラティック歌唱が披露される。
グリンダ役の合格が発表された際、アリアナは涙を流しながら「絶対この役を大切にする」と宣言していた。実際、制作現場では、主人公エルファバ役のシンシア・エリヴォとともに、舞台と同じ生歌での撮影を懇願。さらに、グリンダの曲をヒップホップアレンジするアイデアを「キャラクターに合わない」として止めることもあった。
オリジナル演出でも喝采を浴びた。とくに人気を博したのが「Popular」。劇中、人気者のグリンダが魅力の秘訣を伝授する楽しいナンバーで、アリアナはシャンデリアに飛び乗るアクロバティックな演技に挑戦している。アウトロで披露した即興のハイキックは、アカデミー賞の名演紹介にも選出された。
掴んだ夢と称賛される演技
「『ウィキッド』におけるアリアナ・グランデの魅力的なコメディ演技は、感情の深みと見事に両立されています。個人的にも、あなたの演技を何度も見返し、そのたびに学ばせてもらいました」
(『ウィキッド』が作品&監督賞を受賞した第96回ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞でのライアン・レイノルズの演説)
アリアナのグリンダの魅力は、古典的なコメディ演技にある。絶妙なタイミングと大袈裟な動作で観客を笑わせるオペレッタ流パフォーマンスは、ハリウッドの伝説ルシル・ボールと比較されるほどの魅力を放つ。
重要なのは、アリアナが役柄の人間性も大切にしていたことだろう。世間からの人気に依存しているグリンダの不安や人間らしさを重視した役づくりを行ったのだ。こうした感情を繊細な表情や動作によって伝える手法は、カメラを用いる映画版ならではの強みでもある。
アカデミー賞候補になるまでの評価を得た理由も、愛らしいユーモアとシリアスな感情表現の両立にあった。彼女の受賞を推す批評家も、惜しみない称賛を贈っている。
「アリアナ・グランデは、ミュージカルに入る前、驚くべき深みをキャラクターにもたらす。そして、次の瞬間には、音楽で観客を笑わせてしまう。何を見ているのか信じられなくなるほどの演技だ」
(グレゴリー・エルウッド)
夢の役たるグリンダとして、あらたな高みに達したアリアナ・グランデ。一生に一度の熱演を『ウィキッド ふたりの魔女』で目撃しよう。
『オズの魔法使』と『ウィキッド』:アメリカ文化となった“名画”と正義を考えさせる“前日譚”
舞台版『ウィキッド』(2003)ほど、人の心の闇をあざやかに描き出したミュージカルがあっただろうか。
世相を反映してか、エンターテインメントを基調としながら、登場人物たちが深く苦しみ、傷つき、もがくさまを描き切るダーク・エンタメは近年ことに人気だ。映画でいえば、先日続編も公開された『ジョーカー』(2019)や、その元になった『バットマン』ダークナイト三部作(2005、2008、2012)。後者を監督したクリストファー・ノーランの最新作『オッペンハイマー』(2023)も、伝記映画という体裁をとりながら、原爆開発の父・オッペンハイマーをただ偉人として讃えるのではなく、周囲の人間との軋轢も含め、得体の知れない「暗さ」を画面に漂わせるものだった。だが『ウィキッド』は歌もダンスもあるミュージカルなのだ。それに舞台初演は2003年とずいぶん早い。
なるほど、舞台ミュージカルでも、ただ恋の楽しさや純愛の美しさを歌い上げて終わる作品ばかりではなかった。『ジプシー』(1959)や『キャバレー』(1966)のように、あるいは主人公の一人の死で終わる『ウエスト・サイド・ストーリー』(1957)のように、ハッピーエンディングであることをはっきりと拒絶する作品もあった。けれども『ウィキッド』は「めでたし、めでたし」で終わるように一見思わせるところが恐ろしい。異論を封じ込めるために、「めでたし、めでたし」で無理やり終わらせようとする「善良な」多数派の、暴力を伴わない暴力がどんなものであるかをはっきり示している。
結論が先になってしまった。『ウィキッド』は『オズの魔法使』(1939)の「前日譚」として1995年に出版された小説『オズの魔女記』(Wicked: The Life and Times of the Wicked Witch of the West)をもとに作られた舞台ミュージカルで、2003年10月にブロードウェイで初演されて以来、現在でもロングランを続けている大ヒット作だ。日本でも劇団四季が2007年6月から上演したので、舞台版を見たことがある人もいるだろう(2024年11月現在、大阪四季劇場で続演)。さらにこの舞台版をもとに、アリアナ・グランデとシンシア・エリヴォがそれぞれグリンダとエルファバを演じた映画版が、日本で2025年春に公開が予定されている『ウィキッド ふたりの魔女』だ。
ややこしいのだが、映画『オズの魔法使』にもライマン・フランク・ボームの『オズの素晴らしい魔法使い』(The Wonderful Wizard of Oz)という原作がある。こちらも1900年に刊行されて以来、世界各国で版を重ねている児童文学のベストセラーだが、『ウィキッド』は小説版・舞台版ともに、映画版『オズの魔法使』にしかない設定も取り入れている。ボームの小説では、ドロシーが戦うことになる西の悪い魔女には目が一つしかないと語られるけれど、肌の色への言及はない。だが映画『オズの魔法使』では西の悪い魔女は暗い緑の肌をしている。『ウィキッド』では、のちに西の悪い魔女となるエルファバが、全身緑色で生まれてきたことが物語の展開上重要な意味を持つことになる。
アメリカ文化の一部となった映画『オズの魔法使』
『オズの素晴らしい魔法使い』は何度も映画化されてきたし、ボーム自身が関わったものも含め、舞台版も多く作られてきた。だがジュディ・ガーランドが主演し、「虹の彼方に」を歌った映画『オズの魔法使』はアメリカ人にとって特別な意味を持っている。ここで説明したように、公開当時はそれほど話題にはならなかったものの、第二次世界大戦後、家庭にも普及していったテレビで度々放映されるようになると、『オズの魔法使』は原作小説以上にアメリカ文化の重要な一部となった。
小説『ウィキッド』の作者グレゴリー・マグワイアは、それまでも数多くの児童文学作品を世に送り出してきたから、初の大人向け作品を書くにあたって子どもばかりでなく大人にもよく知られている映画の設定を使ったわけだ。
“正義”とアメリカと『ウィキッド』
緑色の肌をしたエルファバが正義を求めたためにかえって迫害を受けるはめになり、「西の悪い魔女」と言われるようになる、という『ウィキッド』の基本的な筋立ては、小説刊行時の合衆国民にとってとりわけ痛切に感じられるものだった。何が正義で何が悪かわからなくなってしまう。正しいと信じていたものが全面的に正しいわけではなく、邪悪な存在だと憎んでいたものにも、そうなるだけの正当な理由があることがわかる。
第二次世界大戦以降自他ともに認める「世界の警察官」の役割を果たしてきたアメリカは、この時期パナマ侵攻(1989)や湾岸戦争(1990)といった軍事介入を内外から批判される。1960年代になし崩しに始まったヴェトナム戦争(〜1975)のときも、反戦平和運動は世界中に広がったが、こちらは「アメリカが悪い」ということで(少なくとも批判者にとっては)意見が一致していた。だが独裁者として強権的政治を行なったマヌエル・ノリエガを逮捕するためのパナマ侵攻や、クェートに侵攻したイラクとその独裁者サッダーム・フセインに打撃を与えるために多国籍軍の一部として始めた湾岸戦争は、アメリカにも大義がないわけではなかったから、人々はどう対応してよいか戸惑った。
さらに舞台版『ウィキッド』はエルファバとグリンダの友情に焦点を当て、ひとひねり加えることで、この主題を小説とは別の方向で深化させた。小説でもエルファバとグリンダはシズ大学で出会い、親交を深めるが、あくまでも物語はエルファバを中心に展開していく。一方、舞台版では、数々の作品でシスターフッドを称揚してきたアメリカン・ミュージカルの伝統を受け継ぎ、「白人」で育ちが良く、そのかわり少し感性の鈍いグリンダと、「有色人種」でこれまでも差別を受けてきたエルファバが取り結ぶ関係を二人の数々のナンバーで綴っていく。
名門高校の「スクールカースト」で最上位に位置していたはずのグリンダと、田舎の高校の優等生然としたエルファバ。アメリカの大学の「民主的な」ところは、そんな二人が出会えるところにあるが、その出会いはまた、生まれや育ちの違いをはっきりさらけ出してしまうことにもなる。だが二人は当初の反目や誤解を乗り越えて一対一の人間としての関係を取り結ぶ。このエピソードにアメリカ人の良心が託されていることはいうまでもない。私たちはみな平等だ。だからこそ、私たちは仲良くなれる。
しかし『ウィキッド』はそこで終わらない。ともに過ごした時間と場所によって育まれた、心の奥底でつながっているという感覚は変わらないものの、二人の関係は大きく変わっていく。それは社会の偽善にたいする二人の態度の違いによって引き起こされる。
思えばボーム『オズの素晴らしい魔法使い』もまた、オズの魔法使いが「ペテン師」(humbug)であり、オズの国に迷い込んだ人間が魔法を使えるふりをしているだけだったことを暴くことで「まことしやかな嘘」の恐ろしさを子どもにも教えるものだった。映画『オズの魔法使』でも、オズの大王の正体が暴かれる場面が物語の重要な転換点となっている。
独善と偽善の間
アメリカの社会はペテン師に厳しい。本来その資格がないものがその資格があると言い張ったり、善でないものが善だと偽ったりすると、みんな一斉に怒り出す。先日終わったばかりの大統領選挙でも、相手の候補が大統領になるだけの資質のないペテン師だと互いに言いつのることで盛り上がった感がある。
偽善の告発になると、アメリカ人は頭に血がのぼる。だがそれはぎゃくに、アメリカ人がふだん偽善をどれだけ受け入れて暮らしているか、ということでもある。日本人以上に、建前と本音を区別し、人前では建前しか言わない。社会的地位の高い「立派な」アメリカ人ほど、そういうところがある。『ウィキッド』では、そういう偽善を受け入れて生きるようになったグリンダが南の善い魔女となり、偽善を告発し続けるエルファバが西の悪い魔女となることが示される。だがグリンダは偽善者であっても悪者ではないし、エルファバも独善的になるところがある。二人とも心に少しの闇を抱え、それでも自分たちなりに善をなそうとして、迷走する。
女性二人の友情と、障害を乗り越えて結ばれる愛。ミュージカルには欠かせないそうした要素をたっぷり織り込みながらも、正義とは何かを考えさせる、そんな深みをそなえた作品が『ウィキッド』だ。『ウィキッド ふたりの魔女』は二部作で、来春日本公開される第一部は舞台版の第一幕に相当するものだと聞く。エルファバとグリンダの関係が舞台版よりさらに緻密に描かれることになるのではないかと今から楽しみだ。
【レビュー】映画『ウィキッド ふたりの魔女』ピンク&エメラルドグリーンの知られざる友情物語
“ユニバーサル・スタジオ・ロット”での試写会
世界中で親しまれてきた冒険物語『オズの魔法使い』に、実は裏話があったことをご存知だろうか? この物語に登場する魔女の視点を元に1995年に出版された『オズの魔女記』が、2003年に脚本化され、ブロードウェイ・ミュージカルとしてデビューしたのが『ウィキッド』であり、以来21年の間、劇場版『ウィキッド』は世界中の人たちに愛され続けてきたロングランの名作だ。
その『ウィキッド』が満を持して、映画『クレイジー・リッチ!』の大ヒットで有名なジョン・M・チュウ監督の指揮の元、イギリスの女優シンシア・エリヴォ扮するエルファバ、アメリカのシンガーソングライター、女優アリアナ・グランデ扮するグリンダをふたりの魔女として主演に迎えた豪華キャストで映画化され、アメリカでは家族が集う感謝祭前の11月22日に公開され、大いに話題になっている。
ロサンゼルスのストリートには、この冬公演予定のミュージカル版『ウィキッド』の広告と共に、映画版『ウィキッド』のビルボード看板が至る所に飾られ、“ウィキッド祭り”さながらの盛り上がりぶりだ。この話題の映画をLAで、一足早く体験できる機会に恵まれた。
広大な230エイカー(東京ドーム約20個分!)の敷地に広がる「ユニバーサル・スタジオ」といえば、スリル満点のテーマパークやハリウッド映画の裏側を体験できるスタジオツアーなどのアトラクションに溢れる映画スタジオとして有名であり、この夢の国を訪れたことがある方もいらっしゃるだろう。
その敷地内にある、テレビ番組と映画専用の撮影所「ユニバーサル・スタジオ・ロット」の施設で行われた試写会。会場を訪れると、招待客に上映前の軽食やドリンクが振る舞われ、会場に展示された名作映画の歴史の数々を閲覧しながら、上映ルームに向かった。100人ほどのゲストたちの期待が高まる中、ついに夢のような最新ハリウッドファンタジーの幕が切って落とされた。
日本では2025年春に公開予定のため、ネタばれしすぎない範囲で、この映画の大きな魅力をいくつかあげてみたい。
壮大な舞台設定
まるで魔法のほうきにのった魔女がカメラを回しているかのような視点で、「オズの国」に広がる息を呑むほど豪華でカラフルな光景から映画は始まる。例えばその景色のひとつに、絨毯のように一面に咲き誇る見事なチューリップ畑があり、観る者は目と心を奪われる。
人間(魔女)以外の動物や景色、舞台設定はほぼCGが駆使されているのかと思いきや、実際900万本(!)の本物のチューリップを植えてこの光景を創り上げたとをチュウ監督があるインタビューで語っていて、その壮大さに思わず度肝を抜かれた。おとぎの国に広がるきらびやかな建物や景色、登場人物たちのコスチュームは、想像を絶するディテイルとリアルさで実際に創り上げられているのだ。
豪華キャストが繰り広げる感動のミュージカル
実は個人的にミュージカルはちょっと苦手な方だったのだが、個性的な豪華キャストが繰り広げる歌とダンス、それをサポートする心ときめく映画音楽、ローラーコースターのように展開していくストーリーに圧倒されるこの映画は、とても2時間41分とは思えない程、あっという間に一気に観終わってしまった。
中でもキャストたちの歌は大きな魅力のひとつで、ピンク色に包まれた可愛らしいグリンダ(最初はガリンダとして登場)を演じるアリアナ・グランデの、透き通るように心地よい歌声にしばしうっとりしていると、緑色の肌を持つ生真面目なエルファバを演じるシンシア・エリヴォのソウルフルで力強い歌声に、思わずぶっとんでしまった。
さらに特筆すべきは、実は『ウィキッド』のオリジナル曲であることをこの映画を観るまでは知らなかったのだが、今作の中でも重要かつ有名な「ポピュラー」という曲を歌うグリンダの歌声は、オリジナル曲を彼女らしくアレンジしていて心に残り、彼女のこの曲を聴きたくて、何度もトレーラーを見返したくらいだ。しかもこの曲を歌う時のグリンダは非常にユーモラスで観る者の笑いを誘い、みな彼女を愛さずにはいられないのだ。
アメリカの映画館で映画を観ていておもしろいのは、まるで銀幕の中で俳優が実際に演技しているかのように、観客は感動的なシーンや歌いっぷりに遭遇すると、歓声を上げたり、興奮して拍手をしたり、「がんばれー!」と声援を上げてみたり、感情を素直に表現してキャストと一体になって楽しんでしまうところだろう。この夜も、グリンダやエルファバが素晴らしい歌を披露する度、感動的なシーンに出会う度に、観客は一喜一憂してストーリーを楽しんでいた。
典型的な構図超えるストーリー
その愛くるしさから、オズの国のお姫様のように皆に愛され敬愛されることがデフォルトのグリンダ。かたや、緑色の肌で生まれた瞬間から家族や世間からつまはじき、生真面目で正義感の強いエルファバ。真逆とも言える境遇と環境で生まれ育ったふたりの魔女は、オズの国の最高学府であるシズ大学のルームメイトとして、不思議な運命の出会いを果たすことになる。
そんなふたりからは最初、生まれた時から与えられた特権を疑いもせず享受する白人女性(良い魔女)のグリンダに、緑色の肌で生まれて世間に嫌われ嘲笑を受けながらも自由と正義を求める黒人女性(悪い魔女)のエルファバという、現代アメリカ社会を反映したかのような人種構図が浮かび、正直、最初はその安易とも思える進展が鼻についた。ああ、ハリウッドはまた、この典型的な構図をわたしたちに押しつけてくるのか、と。
しかし、グリンダとエルファバは衝突しながらも、相手が最も助けを必要としている瞬間に、実に誠実なきっかけから、少しずつ心を通じ合わせていく。ふたりがお互いの違いを超えて真の友情を育み、分かつことのできない大親友になっていく様子に、気がつけば夢中になって惹きつけられている自分に気づき、痛快な驚きを覚えた。
ふたりの主人公以外にも、台湾と中国からの移民の両親の元でアメリカ人とし生まれ育ったジョン・M・チュウ監督は、本作に白人、黒人、ラティーノ、アジア系と、実に多様な背景を持つ人種のキャストを選抜していて、より現実的なアメリカ人口を反映したハリウッド映画という印象を受ける。そして物語の中でも非常に重要な役割を担うシズ大学の魔法学の権威、マダム・モリブル役に、『クレイジー・リッチ!』にも出演し、アカデミー賞主演女優賞を受賞した中国系マレーシア人女優のミシェル・ヨーを選んだ彼ならではのキャスティングにも、ハリウッドへの新しい風を感じさせる。
「アンリミテッド~無限の力」というメッセージ(*ネタばれ注意)
エルファバは、自分に特別な魔法使いの才能があることは分かっていたが、それをどう使っていいか分からずにいた。マダム・モリブルがそんな自分の特別な才能を見い出して応援くれたことで、彼女に憧れを抱いていたが、ある出来事から、実はマダム・モリブルは自分が考えていたような存在とは真逆の存在であることを知り、怒りと失望に陥ってしまう。
その後マダム・モリブル側に反逆者とみなされると、エルファバとグリンダはエメラルドシティの護衛兵たちに高い塔のてっぺんに追い詰められ、絶体絶命のピンチを迎える。そんな時にどこからともなくほうきが現れ、エルファバがそのほうきに魔法をかけると、「わたしには無限の力がある。わたしは魔法使いなんて怖くない。魔法使いたちがわたしを恐れるべきよ!」という、悪への闘いを挑む、この映画のパンチラインとなる名台詞を放ち、今までの恐怖と不安を振り払って、重力に逆らって空へ勇敢に飛び立っていく…
そしてさらなる予想外のパンチラインは、この映画が終了したと思った瞬間に、「The End」ではなく、「To be continued, Part I(次へ続く、パート1)」という字幕が流れ、「まだまだ続くんだ!」という驚きと喜びに、観客は銀幕に向かって拍手喝采を送り、幕を閉じたところだろう。
爽快なフィナーレは、次のチャプターの始まりでもあったのだ。なんというエンディング。なんというストーリー。魔法使いの世界に人間界のメッセージを投影した、夢と勇気溢れるこのファンタジードラマは、名曲が詰まったサントラと共に、この冬~春に世界中に映画版『ウィキッド』ファンを新たに生み出すことだろう。
1.ノー・ワン・モーンズ・ザ・ウィキッド/














まとめ
「ウィキッド ふたりの魔女 – オリジナル・サウンドトラック (デラックス・エディション)(限定生産盤)(2枚組)」は、「ウィキッド」という素晴らしい物語を、音楽を通してさらに深く体験するための最高のアイテムです。Disc 1で物語の感動を再体験し、Disc 2で新たな発見と音楽的な魅力を堪能することができます。
限定生産盤ということもあり、手に入れるのが難しくなってきているかもしれませんが、もし見かけることがあれば、ぜひ手に取って、この魔法の旋律に身を委ねてみてください。きっと、これまで以上に「ウィキッド」の世界が好きになるはずです。
このサウンドトラックを聴きながら、もう一度舞台を観に行きたくなった方もいるのではないでしょうか?音楽の力は偉大ですね。