広島の変人たちが最高な理由|日常から見つける、本当の魅力

コラム

広島、変人多すぎ説。

 

突然だけど、広島県って変人が多いと思う。

もちろん、これは最高の褒め言葉だ。だって、広島で出会う人たちは、みんな自分の「好き」を突き詰めて生きている。それがどんなにニッチで、周りからどう思われようと気にしない。そういう人たちにたくさん出会うから、広島は本当に面白い。

先日、とある商店街を歩いていたら、一際目を引く店があった。古めかしいガラスケースの中に、なんだかよく分からないものがぎっしり詰まっている。勇気を出して入ってみると、店主はニコニコと出迎えてくれた。聞いてみると、彼は「流木研究家」だという。海で拾った流木を、ただの木切れとしてではなく、その形、色、手触り、そしてたどってきたであろう物語から研究しているらしい。

「この流木は、きっと瀬戸内海の穏やかな海を何十年も漂っていたんでしょうね。こっちのは、荒波にもまれて角が取れた感じがする。これなんか、まるで龍の姿に見えませんか?」

目をキラキラさせながら語る彼を見ていると、最初は「流木?」と首を傾げていた私も、彼の情熱に引き込まれていった。そして気づけば、手には小さな流木の欠片が。なんだか、私もその流木の一部になったような気がして、不思議と温かい気持ちになった。


 

「普通」なんて、きっとどこにもない

 

広島には、そんな「流木研究家」のような人がゴロゴロいる。

たとえば、尾道には「猫の鳴き声だけでその猫の感情が分かる」と豪語するおじさんがいる。彼の言う通りに猫に話しかけたら、本当に猫が寄ってきたときは驚いた。 竹原では、江戸時代の町並みに魅了されすぎて、自作の着物で毎日散策している女性に出会った。彼女の着物は、季節の移ろいに合わせて柄や色が変わり、まるで町並みの一部のように溶け込んでいる。 三次では、「霧の海」に魅了されすぎて、一年中カメラを構えている写真家がいる。彼が撮る写真は、まるで幽玄な世界に迷い込んだかのような美しさだ。

彼らに共通しているのは、自分の「好き」という感情に、何のてらいもなく素直に向き合っていること。周りの目を気にして「普通」に収まろうとするなんて、馬鹿らしいとでも思っているかのようだ。

 

広島に染まるということ

 

東京に住んでいた頃は、「個性」とか「自分らしさ」という言葉をよく耳にした。でもそれは、どこか義務的な響きがあった気がする。個性を持たなければならない、自分らしさをアピールしなければならない。そんな強迫観念のようなものが、いつの間にか自分を縛り付けていた。

でも、広島に来て、そんな縛りから解放された。 ここでは、個性はアピールするものではなく、ただそこにあるもの。誰もが当たり前のように、自分の好きなことをしている。だから、私も自然と、自分の「好き」に素直になれた。

最近は、昔から好きだった「路面電車」の研究に没頭している。広島にはたくさんの種類の路面電車が走っていて、それぞれに歴史や物語がある。どの車両がどこで作られて、どんな道を走ってきたのか。古い車両から最新鋭の車両まで、それぞれの個性をノートにまとめている。 周りの人から見れば、ただの「路面電車好き」だろう。でも、それでいい。私はただ、自分が心から面白いと感じることをしているだけだ。

 

魅力は「変人」たちの中に

 

広島の魅力って、きっと観光名所だけじゃない。 原爆ドームの重厚な歴史、厳島神社の神秘的な美しさ、瀬戸内海の穏やかな景色。もちろん、それらは広島を語る上で欠かせない。

でも、本当の魅力は、そういう素晴らしい場所の片隅で、自分の「好き」をこっそり、いや、堂々と突き詰めている人たちの中にこそあるんじゃないかと思う。 流木研究家、猫の鳴き声研究家、着物愛好家、霧の海写真家、そして路面電車研究家。 彼らがいるから、広島はこんなにも生き生きとして、飽きることがない。

もしあなたが広島に来る機会があったら、ぜひ「変人」を探してみてほしい。 商店街の奥に、路地裏の小さな店に、あるいは公園のベンチに。 きっと、あなたの想像を超える面白い話が聞けるはずだ。 そして、その話を聞けば、あなたもきっと、自分の「好き」にもっと素直になれる。


このブログを読んだあなたも、実は「変人」なんじゃないだろうか? そう思うと、なんだかワクワクしてこない?

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