創業から戦前まで:広島初の百貨店「白亜の殿堂」
福屋は、1929年(昭和4年)に広島初の百貨店として誕生しました。当時の店舗は、現在の八丁堀本店の向かい側に位置しており、鉄筋コンクリート造りの4階建てという、当時としては珍しいモダンな建物でした。
その後、1938年(昭和13年)には、現在の本店の場所に新店舗を建設しました。この新店舗は、地上8階、地下2階の鉄骨鉄筋コンクリート構造で、「白亜の殿堂」と称されるほど豪華な建物でした。また、当時としては珍しい全館冷暖房設備を備えるなど、最先端の百貨店でした。
しかし、太平洋戦争が始まると、建物は軍に接収され、売り場は縮小。戦争末期には空襲対策として、外壁が黒褐色のペンキで塗られました。
被爆と再生:焼け野原からの復興
1945年(昭和20年)8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。福屋本店は爆心地からわずか710メートルの距離にあり、建物の内部は全焼しましたが、頑丈な構造だったため、骨格は奇跡的に残りました。
終戦後、焼け野原となった広島で、福屋は市民の希望として立ち上がります。1946年(昭和21年)1月1日には、まだ周囲に家が一軒もない中で、「酒の立ち飲み」を始めるという、ささやかながらも力強い復興の第一歩を踏み出しました。従業員たちは瓦礫でかまどを作り、牛乳瓶に入れた酒を燗にして販売しました。
そして、その年の2月には自力での営業を再開。3年後の1949年(昭和24年)には、創業20周年を迎え、百貨店としての営業に明るい兆しが見え始めました。
成長と発展:カーネーションと海外ブランド
戦後の復興期を経て、福屋は成長を遂げていきます。1956年(昭和31年)の第一次増床を機に、カーネーションをデザインした包装紙を導入しました。カーネーションは「顧客に捧げる奉仕の誠」を象徴するとして、1967年(昭和42年)には正式に「店花」に定められました。
その後、1970年代にはルイ・ヴィトンやシャネルなど、海外の高級ブランドをいち早く誘致し、広島の百貨店として独自の地位を築き上げていきます。
1999年(平成11年)には、創業70周年を記念して、JR広島駅南口に福屋広島駅前店がオープンしました。これにより、広島市内の二大ターミナルに店舗を構えることとなり、さらに多くの人々に利用されるようになりました。
現在も、福屋八丁堀本店は被爆建物として、広島の歴史を語り継ぐ貴重な存在であり、広島の街と共に歩み続けています。