猿回し「太郎&次郎」の歴史と偉大な功績
「太郎と次郎」というコンビ名は、猿回し師の村﨑太郎(むらさきたろう)さんと、彼とコンビを組む**ニホンザルの「次郎」**によって継承されてきたものです。
1. 猿回しを復活させた立役者
- コンビ結成と活動の開始: 村﨑太郎さんは、高校生だった1978年に初代のニホンザル「次郎」とコンビを結成しました。これは、かつて日本各地にあった猿回し芸が途絶えかけていた時期であり、太郎さんは伝統芸能の復活という大きな使命を背負って活動を始めました。
- 漫才・演芸要素の導入: 太郎さんは、従来の猿回しに漫才やコントのような演芸の要素を取り入れ、観客とのコミカルな掛け合いを重視する「近代猿回し」のスタイルを確立しました。この新しいスタイルが、現代の観客に受け入れられる大きな要因となりました。
2. 「反省ポーズ」で社会現象に
「太郎&次郎」を一躍国民的なスターにしたのが、猿の次郎が見せる**「反省のポーズ」**です。
- 誕生秘話: 太郎さんの著書やインタビューによると、このポーズは、初代次郎が一度脱走した際に、警察官に取り囲まれた状況で、太郎さんが思わず「お前何してんだバカ、反省しろ!」と叫んだところ、次郎が偶然とった仕草がきっかけで生まれたとされています。
- 大ブーム: 1988年頃、フジテレビのバラエティ番組『笑っていいとも!』への出演などをきっかけに「反省ポーズ」が全国的に人気を集め、「反省だけなら猿でもできる」というフレーズが流行語になるほどの社会現象を巻き起こしました。
3. 世界的な評価と文化的な功績
太郎&次郎の功績は、日本国内に留まりません。
- 文化庁芸術祭賞を受賞: 1991年には、歌舞伎仕立ての猿芸『義経』で、動物芸としては異例の文化庁芸術祭賞を受賞しました。
- 海外公演の成功: 1992年にはアメリカに進出し、アメリカ連邦議会から**「日本伝統芸能」の称号**を授与されるなど、海外でも高い評価を得ました。
「次郎」は代々受け継がれる名前
太郎さんとコンビを組む猿の「次郎」は、初代の急逝後も、その名と芸が代々受け継がれています。
- 初代次郎(1979年〜1989年): 太郎さんとコンビを組み、猿回しを復活させ、「反省ポーズ」でブームを巻き起こした伝説の猿。
- 二代目次郎(1990年〜2003年): CM出演などで活躍し、猿回しを舞台芸術として昇華させ、アメリカや中国公演も実現しました。
- 三代目・四代目以降: 二代目以降も、三代目、四代目と次郎の名は引き継がれ、太郎さんと共に慰問公演など精力的に活動の場を広げています。現在は、複数の猿が「次郎」の名を継いで、太郎さんの下で芸を披露している状況です。
現在の活動:「日光さる軍団」との関係
村﨑太郎さんは、2015年に閉園した**「日光猿軍団」(後のおさるランド&アニタウン**)を引き継ぎ、プロデューサーとして活動しています。
現在、太郎さん自身が直接舞台に立つ機会は減っていますが、その活動は、
- 伝統的な猿回し芸の指導と継承
- 猿の能力を引き出す新しいエンターテイメントの開発
- 後継者の育成
に重点が置かれており、「太郎&次郎」が築いた猿回し文化の発展に尽力し続けています。
「太郎&次郎」は、単なる動物芸の枠を超え、人間と動物の強い絆と、伝統を革新する力を象徴する、日本を代表するコンビと言えるでしょう。
もし「太郎&次郎」の現在の芸を間近で見てみたい場合は、村﨑太郎さんがプロデュースする**「おさるランド&アニタウン(日光さる軍団)」**などの常設劇場や、各地のイベント情報をチェックしてみてください。