彼は1822年ボストンの厳格な牧師の家庭に生まれました。実はこのピアポント家、とてつもない名家でもあります。ジェームズの甥(姉の息子)は、あの世界的な金融王J.P.モルガン。つまり、ジングルベルの作者は、世界屈指の大富豪の叔父にあたる人物だったのです。
しかし、ジェームズ本人の人生は、甥の成功とは対照的な「波乱万丈」なものでした。
2. クリスマスではなく「感謝祭」の曲だった?
1857年、ジェームズがこの曲を発表した時のタイトルは、今のような「Jingle Bells」ではなく、「The One Horse Open Sleigh(一頭立てのオープンそり)」というものでした。
当時、彼はマサチューセッツ州メドフォード、あるいはジョージア州サバンナ(※諸説あり、現在も両市が「発祥の地」を巡って争っています)に住んでいたと言われています。
彼がこの曲を作った本来の目的は、11月の「感謝祭(サンクスギビング)」で子供たちが歌うため、あるいは教会の礼拝で披露するためだったというのが定説です。歌詞をよく読んでみてください。どこにも「クリスマス」や「イエス・キリスト」「サンタクロース」という言葉は出てきません。ただひたすらに、雪の中をそりで駆け抜ける楽しさ(と、ちょっとしたスリル)を歌っているだけなのです。
3. 実は「ナンパ」や「スピード違反」の歌!?
私たちが普段歌っている「ジングルベル」は1番の歌詞がメインですが、実はこの曲、4番まで歌詞が存在します。その内容は、およそ「清らかな教会の歌」とは思えないほど世俗的でワイルドなものです。
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2番以降のあらすじ:
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若い男女がそりに乗ってデートをしている。
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勢い余って雪だまりに突っ込み、ひっくり返る。
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それを見ていたライバルの男に笑われる。
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「もっとスピードを出せ!」と仲間を煽る。
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当時の「そり遊び」は、現代でいえばスポーツカーでのドライブやドラッグレースのような若者の娯楽でした。馬の首に鈴(ベル)をつけるのは、衝突事故を防ぐための義務でもありましたが、同時に「俺のそりはこんなにいい音がするぜ」というステータスシンボルでもありました。
つまり、ジングルベルは本来、「冬のナンパとスピード狂の歌」だったのです。
4. 作者ジェームズの「ならず者」な一面
作者のジェームズ自身も、かなりファンキーな人物でした。 牧師の息子でありながら、14歳で寄宿学校を脱走し、捕鯨船に乗って太平洋を旅したり、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアで一攫千金を狙ったりと、定住することを知らない自由人でした。
さらに南北戦争が始まると、北部の名家出身でありながら南軍に加担。北部の牧師だった父親とは絶縁状態になり、南軍の軍歌をいくつも作曲しました。 「ジングルベル」という明るい曲の裏には、家族と決別し、激動の時代を不器用に生きた一人の男の孤独と情熱が隠されているのかもしれません。
5. なぜ「クリスマスソング」になったのか
感謝祭の曲として生まれた「一頭立てのオープンそり」は、そのあまりのキャッチーさから、冬の間中歌われるようになりました。
19世紀後半、次第に「雪=そり=サンタ=クリスマス」というイメージが定着していく中で、この曲もクリスマスシーズンに欠かせない定番曲へとスライドしていったのです。1859年にタイトルが「Jingle Bells」に変更されると、その勢いはさらに加速し、1940年代にビン・クロスビーらがカバーしたことで、世界的な不動の地位を築きました。
ちなみに、1965年には宇宙船「ジェミニ6号」の乗組員が、宇宙から地球へ向けてこの曲を演奏。「宇宙で初めて演奏された曲」という伝説まで作ってしまいました。
結び:鈴の音に耳を澄ませて
次にあなたが街で「ジングルベル」を耳にした時、少しだけ思い出してみてください。 この曲を作ったのは、金融王の叔父でありながら、海を渡り、戦争を駆け抜け、雪道でのスピード違反を歌った自由奔放な音楽家だったということを。
「クリスマスソングではない」という事実は、少し夢を壊すかもしれませんが、むしろ「季節や宗教を問わず、誰もが心躍らせる魔法のメロディだった」という証明でもあります。
ジェームズ・ピアポントが込めた「冬を楽しむエネルギー」は、150年以上経った今も、私たちの心を軽やかに弾ませてくれています。


