時を超えて愛される日本の美「着物」の歴史と変遷

ファッション
スポンサーリンク

時を超えて愛される日本の美「着物」の歴史と変遷

日本の伝統衣装である着物は、単なる衣服ではなく、その時代の文化、社会情勢、人々の美意識を映し出す鏡として、千数百年の時を超えて受け継がれてきました。鮮やかな色彩や繊細な文様には、古の人々の祈りや願いが込められています。

この記事では、着物のルーツから現代に至るまでの歴史を、各時代の特徴的なスタイルや文化とともにご紹介します。


1. 着物のルーツ:縄文・弥生時代〜古墳時代

日本の衣服の起源は、縄文時代の貫頭衣(かんとうい)や巻布衣(まきふい)に見られます。一枚の布を体に巻きつけたり、頭から被ったりするシンプルなものでした。

【縄文時代の貫頭衣】

古墳時代になると、中国や朝鮮半島からの影響を受け、「衣(きぬ)」と「袴(はかま)」、そして「裳(も)」を組み合わせた服装が現れ始めます。

これらは後の貴族装束の原型となっていきました。


2. 律令国家の形成と唐の文化:飛鳥・奈良時代(7〜8世紀)

飛鳥時代に聖徳太子が定めた「冠位十二階」により、位階に応じて衣服の色や形が定められるようになります。これは、身分制度と衣服が強く結びついた最初の例です。

奈良時代には、遣唐使によって中国・唐の文化が積極的に取り入れられました。この頃の貴族の衣装は、男子は「袍(ほう)」、女子は「裳(も)」と「上衣(うわぎ)」を組み合わせた、大陸風の華やかな装いでした。現代の着物とはまだ形が異なりますが、後の「十二単」の基礎が築かれ始めます。

【奈良時代の貴族の衣装】

3. 国風文化と十二単の完成:平安時代(9〜12世紀)

遣唐使が廃止され、日本独自の文化(国風文化)が花開いた平安時代。衣服もまた、日本の風土や美意識に合わせて大きく進化しました。

この時代に完成したのが、女性貴族の正装である「十二単(じゅうにひとえ)」です。複数の衣を重ねて着用することで、色彩のグラデーションや襟元の重なりを美しく見せることに重きが置かれました。その雅やかな姿は、『源氏物語』などの文学作品にも詳しく描かれています。男性貴族は「束帯(そくたい)」や「直衣(のうし)」を着用しました。

【平安時代の十二単と束帯】

4. 武士の台頭と簡素化:鎌倉・室町時代(12〜16世紀)

武士が社会の中心となった鎌倉時代には、動きやすい簡素な服装が求められるようになりました。平安貴族の優美な装いは残るものの、実用性が重視されるようになります。

室町時代には、現代の着物の原型となる「小袖(こそで)」が、次第に人々の間で普及し始めます。それまでは下着のような存在だった小袖が、表着としても着られるようになり、この後の着物の発展に繋がっていきます。

【鎌倉時代の武士と女性の小袖】

タイトルとURLをコピーしました