暴れん坊将軍のモデルは徳川吉宗!名君「米将軍」の享保の改革と豪胆な実像

コラム

1. 🏯 徳川吉宗の実像

① 異例の出世と「名君」の政治手腕

  • 紀州藩主から将軍へ: 吉宗は、御三家の一つである紀州藩主・徳川光貞の四男として生まれ、本来は将軍を継ぐ立場ではありませんでした。しかし、先代将軍の早世により血筋が途絶えたため、異例の形で将軍に就任しました。

  • 享保の改革の推進: 幕府の財政が逼迫する中、彼は「中興の祖(ちゅうこうのそ)」とも称される大改革「享保の改革」を実行しました。

    • 質素倹約の徹底: 将軍自ら木綿の着物を着用し、食事は一汁一菜にするなど、徹底した倹約を率先して行い、家臣たちの風紀を引き締めました。

    • 財政再建: 米の収穫量を増やすための新田開発を奨励し、年貢の徴収方法を見直したことから、「米将軍」とも呼ばれました。

    • 目安箱の設置: 庶民の意見を直接聞くために「目安箱」を設置し、その投書から医療施設である小石川養生所の設置などが実現しました。

② 身体的特徴と行動力

  • 「暴れん坊」の要素: 史実においても、吉宗には「暴れん坊」を連想させるエピソードがあります。

    • 大男: 身長は**六尺(約180cm)**と、当時の成人男性としては群を抜く大柄でたくましい体格でした。

    • 武芸奨励と豪胆さ: 鷹狩を好み、自ら武芸を奨励しました。本職の力士を投げ飛ばした話や、手負いの猪を自ら仕留めた豪胆なエピソードが伝わっています。

2. 📺 ドラマと史実の関連性

ドラマ「暴れん坊将軍」は、吉宗が身分を隠して市中を巡り、庶民の苦しみを知ろうとしたという実像と、彼の強靭な肉体と行動力のエピソードをフィクションとして発展させたものです。

  • 庶民との交流: 史実の目安箱設置や、紀州藩主時代に庶民の喧嘩に出くわしたエピソードなど、彼が市井の事情に関心を持っていたことは確かです。ドラマの「お忍び」はこの姿勢を象徴的に表現しています。

  • 成敗のシーン: 豪胆な吉宗のイメージが、悪人を斬り捨てる痛快な立ち回りのシーンに反映されています。

徳川吉宗は、質実剛健でリアリスト(現実主義者)としての側面を持ち、堅実な政治で幕府の危機を救った名君なのです。


徳川吉宗公の享保の改革について、解説している動画はこちらです。 【日本史】暴れん坊将軍・徳川吉宗の時代へ!江戸時代の三大改革・享保の改革を大解剖!【解説】【歴史】

【日本史】暴れん坊将軍・徳川吉宗の時代へ!江戸時代の三大改革・享保の改革を大解剖!【解説】【歴史】 – YouTube
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