ポテトチップスの歴史:誕生秘話から日本での進化、なぜ国民的おやつに?

コラム

ポテトチップスの歴史は、アメリカで誕生した偶然の産物であり、その後、大量生産技術の進化を経て世界中に広まり、日本独自の進化を遂げて国民的なおやつとなりました。

主な歴史の流れを詳しくご紹介します。


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🥔 ポテトチップスの誕生とアメリカでの発展

1. 発祥の物語(1853年)

ポテトチップスが誕生したとされる最も有名な説は、アメリカのニューヨーク州サラトガ・スプリングスのホテルでのエピソードです。

  • 時期と場所: 1853年、ニューヨーク州の「ムーン・レイク・ハウスホテル」のレストラン。

  • 発明者: コック長を務めていたジョージ・クラム (George Crum)氏。

  • きっかけ: ある客が、提供されたフライドポテト(フレンチフライ)を「厚すぎる」と繰り返しクレームをつけ、突き返しました。

  • 誕生: 怒ったクラム氏は、嫌がらせのつもりでジャガイモを紙のように極限まで薄くスライスし、カリカリに揚げて大量の塩を振って提供しました。

  • 結果: しかし、このパリパリとした食感と塩味が、客に大好評となり、あっという間に完食され、「おかわり」まで注文されました。

  • 初期の名称: この料理は、発祥地にちなんで「サラトガチップス」と呼ばれ、ホテルの名物となりました。

※このエピソードには諸説あり、後に作られたジョークや作り話であるという指摘も一部にあります。

2. 世界への普及

  • 当初はレストランで提供される高級なメニューでしたが、20世紀に入ると、長期保存や大量生産を可能にする技術が発展しました。

  • 袋詰めの発明: ポテトチップスを湿気から守り、長く保存できる袋詰めの技術が開発されたことで、アメリカ全土で流通する国民的なスナックとなりました。

  • 世界ブランドの形成: その後、大規模な買収や合併を経て、「レイズ (Lay’s)」などの世界的なポテトチップスブランドが確立されていきました。


🇯🇵 日本でのポテトチップスの歴史

日本にポテトチップスが伝わり、国民的なおやつとなるまでには、いくつかの重要な転機がありました。

1. 日本への伝来と初期の販売

  • 戦後の伝来: 太平洋戦争後、ハワイでポテトチップスの製造に携わった日系人・浜田音四郎氏によって、その技術が日本に持ち帰られました。

  • 日本初の製造・販売: 1950年代初頭に、浜田氏が立ち上げた会社から「フラ印アメリカンポテトチップス」が発売されました。当時は、主に進駐軍のビアホールや一部の高級スーパーに卸される高級おつまみとして扱われていました。

2. 大量生産化と国民的おやつへの進化

日本のポテトチップスの歴史は、主に湖池屋カルビーという二大メーカーの競争と開発によって進展しました。

メーカー 重要な出来事 詳細
湖池屋 1962年:「のり塩」誕生 当時主流だった塩味に対し、「日本人になじみのある味を」と、世界初のフレーバーポテトチップス「湖池屋ポテトチップス のり塩」を開発・発売。
1967年:日本初の量産化 オートフライヤーを導入し、ポテトチップスの量産化に成功。これにより、ポテトチップスは一般層に広く浸透し始めました。
カルビー 1967年:創業者の視察 創業者の松尾孝氏がアメリカでポテトチップスが山積みで売られている光景に衝撃を受け、日本での販売を決意。
1975年:「うすしお味」発売 長い開発期間を経て、カルビーポテトチップスの第一弾「うすしお味」を発売。その後、第二弾として「のりしお」を発売。
品質の向上 製造年月日の表記、アルミ蒸着フィルムの採用など、品質と鮮度を追求する姿勢で市場をリードし、国民的なシェアを獲得していきました。

3. 多様な進化

  • 味付けが多様化し、「コンソメパンチ」「サワークリーム&オニオン」など、個性的なフレーバーが次々と登場しました。

  • カット方法や製法にも多様性が生まれ、厚切り、堅揚げ、釜揚げなど、さまざまな食感が楽しめる製品が開発され、現在に至っています。

ポテトチップスは、クレームをきっかけに生まれたささやかな「チップ」が、今や世界中で愛される巨大なスナック菓子産業へと発展した、興味深い歴史を持っています。

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