【歴史のif】もしも織田信長が天下を統一していたら?塗り替えられた日本の姿
歴史に「もしも」は禁物と言われますが、もし1582年6月2日の京都・本能寺で、明智光秀の謀反が失敗に終わっていたら……。私たちは今、全く別の「日本」に住んでいたかもしれません。
織田信長という稀代の天才が、あのまま天下を統一し、長生きをしていたら世界はどう変わっていたのか。今回は、信長が作り上げたであろう「織田幕府(あるいは織田政権)」の姿を、政治、経済、外交の観点から大胆に考察します。
1. 本能寺の変、回避の瞬間
天正10年6月2日未明。本能寺を取り囲む明智軍の気配に、信長がいち早く気づき、脱出に成功したところから物語は始まります。
命拾いをした信長は、即座に備中(岡山県)にいる羽柴秀吉、そして三河(愛知県)の徳川家康を呼び寄せ、明智光秀を瞬く間に討伐したでしょう。この時、裏切りを許さない信長の性格を考えれば、光秀の一族郎党だけでなく、関与が疑われる朝廷勢力や寺社勢力にも、かつてない規模の「粛清」の嵐が吹き荒れたはずです。
2. 「織田幕府」ではない、新たな統治機構
信長は足利義昭を追放した際、あえて「将軍」の座に固執しませんでした。彼が目指していたのは、中世的な武家政権(幕府)の延長線上ではなく、全く新しい**「絶対王政」**に近い形だったのではないでしょうか。
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天皇の象徴化と神格化:信長は自らを「神」として祀り、権威の頂点に立とうとしました。安土城の中に建てられた「摠見寺」は、信長自身を崇拝の対象とするための装置でした。もし彼が天下を統一していれば、京都の朝廷は形式的な儀礼のみを司る存在となり、実質的な権力はすべて安土の「地上の神」に集約されていたでしょう。
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兵農分離の徹底:秀吉が行った「太閤検地」や「刀狩」は、もともと信長の構想を継承したものです。信長なら、より冷徹に、そして迅速にこれらを完遂したはずです。武士は城下町に住み、農民は耕作に専念する。この徹底した社会構造の変革が、江戸時代よりも100年以上早く完成していたことになります。
3. 経済改革:巨大な自由貿易圏の誕生
信長の真骨頂は経済政策にあります。「楽市楽座」によって座の特権を破壊した彼は、日本全土を一つの巨大な自由貿易圏に変えようとしたはずです。
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関所の完全廃止:物流を阻む関所をすべて撤廃し、街道を整備。人・モノ・金の流れを極限まで加速させます。
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通貨の統一:当時、質の悪い銭(撰銭)が流通して混乱していましたが、信長は強力な権力で貨幣鋳造権を握り、金・銀・銅による統一貨幣制度を確立したでしょう。
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安土が世界の中心に:安土城は、単なる軍事拠点ではなく、世界中の品物が集まる国際商業都市になっていたはずです。
4. 外交と大航海時代:海を渡る「Nobunaga」
もし信長が天下を取っていたら、最大の分岐点は**「海外進出」**です。
秀吉は晩年、無謀な朝鮮出兵を行いましたが、信長のやり方はもっと合理的かつ冷徹だったかもしれません。彼は南蛮(スペイン・ポルトガル)の知識を貪欲に吸収していました。
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大日本帝国の原型?:信長は、イエズス会の宣教師を通じて世界地図を理解していました。彼は鉄甲船をさらに進化させ、強力な火縄銃部隊を擁した艦隊を編成したでしょう。狙うは領土拡大だけではなく、東南アジア一帯におよぶ「貿易利権」の掌握です。
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キリスト教との距離感:当初はキリスト教を保護した信長ですが、自らを神とする彼にとって、唯一神を掲げるキリスト教はいずれ「邪魔な存在」になります。彼はキリスト教を否定するのではなく、日本独自の「国家宗教」として作り替え、あるいは完全にコントロール下に置く道を選んだのではないでしょうか。
5. 日本の近代化は300年早まったのか?
信長の統治が続いていれば、日本は16世紀末にして、すでに**「近代国家」**の産声を上げていた可能性があります。
江戸時代のような「鎖国」による安定と停滞の260年間ではなく、常に外の世界と競い合い、技術革新を続ける攻撃的な260年間。そうなれば、明治維新を待たずして、日本は蒸気機関や近代兵器を手に入れ、アジアにおける唯一の帝国として君臨していたかもしれません。
しかし、その一方で、信長の苛烈な恐怖政治に耐えかねた人々による大規模な反乱や、急激な改革による社会の歪みも生じたはずです。
結びに:信長が見た「天」の景色
信長の愛読した幸若舞『敦盛』の一節に、「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」という有名な言葉があります。
もし彼が50歳で死なず、70歳、80歳まで生きていたとしたら。安土城の天主から彼が見上げた景色は、日本列島を飛び越え、大陸や大海原まで広がっていたに違いありません。
私たちが知る「慎ましやかで礼儀正しい日本」とは違う、「野心的で、合理的で、世界を飲み込もうとする日本」。そんなもう一つの歴史に思いを馳せると、安土城の跡地に吹く風も、少し違った響きを持って聞こえてくるようです。


